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2004年11月22日(Mon)▲ページの先頭へ
留学同について
 正式名称は在日本朝鮮留学生同盟といい、1945年9月14日に結成されました。在日同胞団体の中でも旧い歴史と伝統を持つ留学同は、日本の各大学・短大・専門学校で学ぶたくさんの同胞学生が集う学生団体です。留学同は、各自の個性を大切にし、大衆的で、開かれた運営をモットーにしています。

 留学同は結成以来、同胞学生を祖国のもとに固く結集させ、祖国の平和・統一・発展、同胞社会の繁栄に少なからず貢献してきた祖国愛、民族愛を大事にする団体です。

 留学同は、祖国の北・南・海外の同胞青年学生との団結と交流を強める一方、日本と世界各国の学生との友好・親善を深める活動を活発に行っています。

 21世紀、同胞学生のより豊かで充実した明るい未来のために留学同は日々邁進しています。


留学同中四国について
留学同中四国地方本部は、2002年の3月24日に結成されました。同本部は中四国9県を担当し、現在岡山支部・四国支部・広島支部の3つの支部によりなっています。

 現在留学同中四国の本部がある岡山県の朝鮮留学生の歴史を遡ると、1917年(大正6年)にたどり着きます。統計によると当時岡山には487名の日本内地在留朝鮮人がいたとされ、その中に「学生6名」という数字があります。

 1918年には『満鮮評論』という雑誌が発行されていますが、この朝鮮留学生達が発行したものと言われています。

 1920年には岡山在留の学生は8名で、その内訳は第六高等学校4名(いずれも私費)、岡山医学専門学校3名(官費1名、私費2名)、関西中学校1名でした。(現在、岡山市国富にある朝日高校の敷地に、旧制第6高等学校はあった。 ここには帝国大学を志す青少年達が全国から集まってきたが、その中に朝鮮人生徒も毎年3,4人はいたという。 植民地支配下における朝鮮において、中学校に相当する高等普通学校の数は少なく、 それに進学できる朝鮮人学生は学力に置いても家庭の経済力に置いても、いわゆるエリートに属していた。まして、日本の高等学校へ進学するという者は、エリート中のエリートだったのである。)

 1930(昭和5)年には岡山に20名の構成員(その大半は、旧制第六高等学校の生徒と言われている)からなる 『青丘学友会』という学生団体がありました。この団体は警察から「民族系」あるいは「共産系」のレッテルをはられ、独立運動に走るおそれがありとして、治安維持法対象団体として常時監視をされていました。

 1941(昭和16)年2月17日、六人の朝鮮人六高生が治安維持法違反容疑で逮捕され、下宿先から岡山東警察署に連行され、特高課の取り調べを受けることになりました。

  ちょうど日中戦争の最中、彼らは中等学校在学中に3.1独立運動や、上海の亡命政府の独立運動などを知り、日本人教師の民族差別も経験し、密かに民族差別の文献を読みあさりました。

 彼らは、下宿先や新入生歓迎会の席やハイキング先の吉井川堤などで朝鮮人生徒に対して、日本人生徒に負けぬよう努力せよと激励し、軽挙な言動を慎み、文化水準の向上に努め、犠牲精神・団結心を養成し、朝鮮の歴史を研究し、併合に反対して死んだ志士や 、独立運動の先覚者達の意志を継ぎ、朝鮮民族幸福獲得の指導者としての人格完成に努力しよう、と話し合ったのです。

 しかしこれが、「朝鮮独立ノ実行ニ関シ煽動シ、協議シ」 「以テ我カ国体ヲ変革スルコトヲ目的トシ」たと決めつけられ、断罪されることになったのです。

 彼らに対する予審が終結し、いよいよ岡山の地方裁判所の公判に付されることが決定したのは1943(昭和18)年2月28日であったから、まる2年にわたって、留置場に放り込まれ、特高、検事、予審判事に責めさいなまれ続けられたのであります。

 学生のうち3人が公判に付されることになったが、その後の結末については未だ不明のままです。

 その二年後朝鮮留学生達は祖国解放を迎えることになり、朝学同の結成を迎えることになるのです。



   


留学同中四国ブログ


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カレンダ
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